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当地には、明治の初め頃より神楽はあったと記録されていますが大利逸太郎、福原慶一、溝下茂作の三氏が矢上の神楽を矢上地方より習い来たりて、時の青年会9名に伝習せしめ、上石神楽奏楽会としては明治31年に発足したと記録されています。
発足しても衣装はなく、神楽の演舞の度毎に各地を走り廻りて、衣装を借りて奉納したとの事ですが、面、刀、鈴等の小道具は時の舞子が米一俵宛、投げ込み金をして揃えられたようです。
奉納して戴いたお金は勿論、その後も小遣いを出し合ったり、頼母子講に加入したり、戦後は林道出歩、材木出しなどを行って基金造成に励まれて衣装を作ってこられました。
現在の物資豊富な時代とは違い、金銭的にも思うに任せず、正に困苦欠乏の時代で涙ぐましい努力の跡を偲ばせていただくとき、万感胸に迫るものを感じます。
現在と違い、衣装を借りるにしても、電話もなく車もなく、借りて支払うまでは三日間は要したとのこと、他へ奉納した場合、舞は良く舞うが衣装は寺原の衣装だと嘲笑され、直ちに衣装箱は陰に隠されたこと、この悔しさと不自由さが衣装を作るきっかけとなったようであります。
100年の永い年月の歴史の裏には、敬神崇祖の念ひとしお深く郷土神楽への愛着、物心両面にわたり絶大なるご支援賜りましたご先祖様、並びに氏子の皆様に対しましても万感の思いをもって感謝し、厚くお礼申し上げます。
先輩諸兄の残されたまことに尊い伝統を大切に、わが郷土の誇れる芸能として末永く継承されますよう祈念いたし、今後も皆様方の変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして素言で失礼に存じますが挨拶とさせていただきます。
上石神楽団
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